京都市営地下鉄五条駅から徒歩1分の場所にあるゲストハウス。屋上からは京都タワーも見える好立地。京都駅からも近く、主要な観光地から適度な距離があるため、ビジネスユースや自転車やバスなどを使った京都観光の起点としても便利。オーナーの岩本夫妻の人柄や行き届いたサービスも人気で、国内外を問わず旅行者のファンが多い。
私のコラムも今回で最後です。
書き始めた時から、最終話は宿の日常を描こうと、決めていました。映像的なインドやアフリアの話に比べたら、皆さんきっと退屈することでしょう。タイトルを付けるとしたら、「ノースキーのありふれた日常」ということになります。
毎朝、目を覚ました瞬間に小さな不安に襲われる。
「今日も、良い一日になるだろうか?」
棘が刺さったかのように、胸が小さく痛む。この痛みは開業してからずっと続いていて、いつまでたっても馴れる事がない。薄暗がりの部屋の中、カーテンの隙間から朝日が細く差し込んでいる。隣で妻は、娘を抱きしめるようにして眠っている。前の晩は疲れてシャワーを浴びずに寝てしまったので、シャワーを浴びる。シャワーを浴びながら、今日のチェックインは何件あって、どんな人が訪れて来るのか、思いを馳せる。
今日は、季節ごとに泊まりに来てくれるリピーターの方がいる。その反面、初めての一人旅の方も多い一日。さて、どうなるか…。
シャワーから上がると、たいてい妻も起きていて、私の弁当を準備していたりする。娘も起きていれば、走ってこちらに向かってきたりする。
「今日は、何件チェックインがあるの?」
「けっこうあるんだ。10件ぐらい」
「そう」
「でもリピーターさんもいるから、何とかなると思う」
「だといいね」
私は妻から弁当受け取る。
「私たちも、昼前には宿に行って掃除を手伝うから」
「わかった。待ってるよ」
自宅から宿まで、自転車で5分もかからない。その短い道中を気に入っている。季節は葉桜の頃。朝日に煌めく東本願寺を横目に見ながら、晴れ渡る春の空を仰ぎ見ると、東山の稜線が美しく、京都の町はもう活発に動き始めている。私は毎朝この瞬間に、今日という一日を肯定的に迎える事が出来るようになる。
チェックインの前にまず、チェックアウトの業務がある。
朝、出勤して宿の扉を開ける瞬間は少し緊張する。問題はなかっただろうか?良く眠れただろうか?朝は、前の晩の結果でもあるので、前の晩にお客さん同士の人間関係を上手く築けていると、自然と次の朝も良い朝になる。
扉を開けた瞬間に談笑する声が聞こえたり、お客さん同士が挨拶をかわす声が聞こえたりすると、心が弾む。
「おはようございます!」
私は宿のリビングの中へと入って行く。すでにリビングには人が集まっていて、「おはようございます!」と皆の声が心地よく響く。
「よい天気ですね。皆さんどこへ行くんですか?」
清水寺を始めとする東山方面へ行く人、嵐山に行く人、伏見稲荷などの南へ行く人…。そしてチェックアウトして、帰路につく人。
朝は観光案内をしたり予約管理をしたり、リラックスして業務をこなす。しかし、ちょっとフロントやリビングを離れたときに、お客さんが鍵を返却してそのままチェックアウトしてしまう可能性もあるので、トイレに行くのにも油断がならない時間ではある。
リビングの雰囲気をあげたい時は、ささやかな音楽をかける。もちろん無音を選択する朝も多い。
「オーナーさん、コーヒーをいただいても良いですか?」
「もちろん」
私は豆を取り出し、コーヒーを淹れる。朝日の差し込むリビングには、観葉植物の緑とコーヒーの香りがよく似合う。お気に入りパン屋で、朝食のパンを用意してる方も多い。コーヒーを飲みながら、京都の地図を眺める人。カメラを調整する人。前の晩に話足りなかったのか、おしゃべりをする人…。
晴れた日だから、勢い良く京都の町に飛び出してくると嬉しい。しかし何をするでもなく、朝日のリビングでぼんやりとしているお客さんがいると、それはそれでとても嬉しい。そんなお客さんに、「また、祇園祭の時に遊びに来てくださいよ」といった具合に、ちょっと営業トークを投げてみたりする。でも本当に私は、その方と再会したいと思っている。私は京都で待ち続ける事しか出来ないから、今日のさようならが、永遠のさようならになるような気がして、いつも寂しく思う。
旅立ちの朝は、透明で、少し寂しい朝が良い。別れが切ない朝は、暖かい夜を過ごした証拠なのだと思う。
そうこうしているうちに、妻と娘が宿に着く。扉が開くと、階下から娘の声が響いて来る。
「お父さーーん!」
妻子も交えてリビングで過ごし、全てのお客様がチェックアウトしたら、掃除を始める。
シーツを交換する。タオルを洗う。水回りを掃除する。清掃のスタッフは雇っていないので、掃除の全てを家族で行う。
大変ですね、とお客さんは言う。でも、私は掃除の時間はそこまで嫌いではない。投げて積んだシーツの上に、娘が飛び込んで笑う。妻が新しい草木を鉢に植え替えて、水をやっている。私は洗い立てのタオルを片手に屋上へでて、雲一つない青空を見上げる…。
掃除が終わった後は、ささやかな場所で外食したり、娘と公園で遊んだりする。春の光の中ではしゃぐ娘を眺めながら、私と妻はベンチに腰掛けている。
「まだ、お休みまでずいぶんあるね」と妻が言う。
「そうだね。GWが終わるまでは、休めないね」
「疲れてる?」
「少しだけ。でもいつも、良いお客さんに救われている気がする」
葉桜の季節。散り残った桜の花びらが、惜しむように公園の砂の上に降り注いでいる。花びらを頭に乗せて歩く娘を眺めながら、この子もいつか、私と同じように旅に出るのかな、と想像してみたりする。
「あーそーぼ!」
と娘が砂場から叫ぶ。私はちらと腕時計に目をやる。14時半だ。宿に帰らなくてはいけない。
「本当はもっと休みをとって、色々な所に連れて行ってあげたいんだけど、ごめん」
「うん。GWが終わったら、旅行に行こうね」
「そうだね」
宿に戻ると館内を今一度確認して、15時からのチェックインに備える。
チェックインの瞬間、初めて顔を合わせる一瞬を大切にしたい。緊張をほぐすとともに、ノースキーはどういう場所なのか、さりげなく伝えたい。みんな旅が好きだし、京都が好きでこの宿に集まっている。だから、同室になった方を他人と思わずに、縁があったのだと、そう思って欲しい。
例えばこんな日がある。
一人目のチェックインは、季節ごとにノースキーに泊まりに来てくれるようなリピーターさん。カメラが好きで、京都にも詳しく、気軽に交流してくれる方。夜のリビングは、この方を中心にして、良い雰囲気を作って行きたいと思う。
二人目のチェックインは、初めての一人旅で、京都も初めての若い女性。少し緊張した面持ちではあるものの、淡い期待を持ってノースキーを選んでくれている。京都の情報も求めているので、良いタイミングを見つけて一人目のリピーターさんと繋いであげたいと思う。
三人目はのチェックインは、前日の夜に急に入ってきた台湾人からの予約。当日会ってみると小脇にクロッキー帳を抱えている。なんと、新潟からヒッチハイクで来たのだという。他のお客さんも、きっと彼の話を聞きたがっているし、何より長旅だろうから、きっと孤独な時間も長い。今夜だけは暖かい夜を提供してあげたいと思う。
その他にも、色々な方が色々な思いを持って、ばらばらな時間にチェックインして来る。私一人だけが全てのお客さんを把握していて、今日の夜がどうなるのか、考えている。
ノースキーの夜はまるで生き物のようだ。その晩のお客さんのキャラクター、帰って来るタイミングなど、その時々の状況で雰囲気はまったく変って来る。みんな思い思いに過ごして欲しい。だけど私が好きな夜は、宿泊者全員が家族になってしまったような、そんな夜だ。リビングでまず、小さな会話が生まれて、そこへ帰って来た人がどんどん重なって参加して行くような、そんな夜が好きだ。
リビングがうまく暖まったら、私はそっと輪を外れる。輪の外側から自分の宿を眺めて、この道に進んだ事、また皆さんがノースキーを選んでくれた事を、心の底から嬉しく思う。
ホステルノースキーは、旅人の孤独の裏側にある宿です。暖かい夜も透明な朝も、小さな寂しさの向こう側にあるものです。世の中には悲しい事が溢れている。もしかしたらお客さんの誰かも、何かに行き詰まっているのかもしれない。皆さん色々あるだろうけれど、ノースキーに泊まったこの一晩だけは暖かいものであって欲しい。そう思って毎日を過ごしています。
ホステルノースキーのありふれた日常でした。
References & Thanks to
1
3月1日公開
JBL Guesthouse Awardで大賞に輝いた京都のゲストハウス「Hostel North+Key Kyoto(ホステル・ノースキー京都)」。かつてご自身も世界中を回ったというオーナーの岩本さんが振り返る旅の記憶。第1回はインド。
2
4月5日公開
岩本さんが振り返る旅の記憶、第2回はアフリカ。アフリカ最高峰のキリマンジャロの山頂から眺めた光景が、当時旅に出る意味を自問していた岩本さんに一筋の光を届けてくれました。
3
5月10日公開
2年間の世界の旅から日本に戻った岩本さん。理想の宿のための物件探しで京都の街を1年半かけて彷徨いつつ、結婚、第一子誕生を経て、2014年、ついに「ホステル・ノースキー京都」を開業しました。
4
6月7日公開
現在は旅人たちを迎え入れて一夜の宿を提供する立場となった岩本さん。かつての刺激的な旅の日々とはまるで異なるありふれた日常こそが、ノース・キー京都を訪れる人たちにとって、束の間の安らぎを感じられる場所を作っています。