旅先で出会った人々にカメラを向けると、反応は大きく2つに分かれる。
嬉しそうに恥ずかしそうに笑顔を返すか、戸惑い迷惑そうに嫌がるか。
中国人の9割以上=人類の約2割を占める世界最多の漢人は日本人に似て、カメラを向けると子供はモジモジ恥ずかしがり、泣き出す子もいる。それに比べ、シルクロードのウイグル人は写真に撮られるのが大好きで「俺/私を撮れ」とばかりにポーズをとって見せてくれたりまでする。服のシミや穴など吹き飛ばすほど、子供でもスカーフの色使いなどが鮮烈で着こなしもオシャレで、街角や草原で出くわすと嬉しくなり、ストーカーさながらに追いかけ回し、撮りまくらずにはいられなくなってしまう。
言葉も通じないよそ者に対するウイグル人のこうした友好的な立ち振る舞いは、交易路として栄えてきた土地の歴史ゆえかもしれない。だが、旅慣れた旅行者でもいい奴ほど、騙されたり、睡眠薬強盗にあったりする。ウイグル人と漢人の戦いと支配、融和の繰り返しを振り返ると、こうした人の良さ、警戒心のなさが民族の悲劇を生む要因の一つなのかもしれないとも思えてくる。
漢人の街とは見るからに違う街並みの中で、顔付きの異なる子供達は一緒に遊んでいたりもする。だが、言語や文化が異なり、日本の約4.5倍(中国の約6分の1)もの広さの新疆ウイグル自治区では、地下資源が掘り返され、核実験は繰り返され、自治区とは名ばかりの現状に、どうしても無理が感じられる。
1950年代以降の移民政策で大勢の漢人が移り住み、今ではウイグル人の数を実質的に上回っているという。カシュガル=喀什(カーシー)など、ウイグル語と中国語の2つの名を合わせ持つ町も多いが、80年代でも現地では漢字読みがもはや主流となっていた。
傘とミカンを持つ子供達の写真は、長江(揚子江)中流の三峡ダム建設(1994〜2009年)に伴い、新疆ウイグル自治区を含めた各地へ百数十万人が移住を余儀なくされたエリアの近くで撮ったものだ。
『地球の歩き方 中国編』の編集はかつて、フォトライブラリー兼務のC.P.C.と言う編集プロダクションが請け負い、ポジフィルムで撮った写真を募集していた。それに応募し、出入りするようになる。1990〜91年には、大学を1年休学し、インド〜ヨーロッパへ陸路で横断、NY経由で南米を3ぶんの2周する。卒業後、地球の歩き方での初仕事は東アフリカ編でケニア・ウガンダ・タンザニアを回り、のちに中国編・シルクロード編も担当する。
96年に僕の最初の写真展に合わせて10種類のポストカードを作るが、そのうちの実に4枚が新疆ウイグル自治区で撮ったものとなった。
僕のポストカードの一番人気は、東アフリカのウガンダ西部で車が故障し、代わりの車を待つ間に撮った元気いっぱいの子供達だ。だが、一時はエイズの感染率が20%にも達したウガンダで、このエリアはさらに、子供たちを兵士や性奴隷にするため、反政府武装組織による拉致・誘拐が多発したエリアでもある。
甲板の美少女は、エチオピアの内戦と飢餓から逃れ、タンザニアに家族で移住し、ウガンダのミッション・スクールで寮生活を始めるため、ビクトリア湖をフェリーで渡るところ。ただ、この船は1996年に定数の3倍以上の過積載により沈没、1000人以上の死者を出した。
話を聞いたり、調べたりすると、何気なく撮った写真にも確かに世界のその時が写っていて、思いをはせる切っ掛けにもなっている。
長旅の途中、ネパールで買い、送るのが惜しくなり持ち帰ったポストカードでは、チベット人のお婆ちゃんが、その時のまま今も僕の部屋で優しく微笑み続けている。
References & Thanks to
1
7月5日公開
世界を旅しながら『地球の歩き方』などに寄稿したり自主映画を制作したりするカメラマン・ライターの今野さん。撮影した写真を使って制作したポストカードは、旅の記憶を呼び起こすきっかけになります。
2
8月2日公開
ライターやカメラマンとして、現地の人々や文化とどのように向き合うべきか? 『地球の歩き方』など、数多くのガイドブックで現地の声を届けるベテランの今野さんが、経験や年齢とともに移りゆく価値観をいま改めて見つめ直します。
3
9月6日公開
インドネシアでは国立公園でオランウータンを間近で見たり、象に乗ってジャングルを回ったりするツアーが人気です。一方で自然破壊が野生動物たちから居場所を奪い、観光向けに人間に飼い慣らされている現状も踏まえて、今野さんはガイドブックと報道の間で何をどう伝えるべきかを考えます。
4
10月11日公開
世界を旅していると、やはり日本人がいる場所はどこかほっとするもの。メキシコの日本人宿で知り合ったレスラーのルチャ・リブレ(プロレス)を観に行ったり、フィルムを扱う雑貨店のご家族に招かれて日本食をご馳走になったり、メキシコでも日本人との色々な出会いがありました。
5
11月1日公開
中田、中村、小野、稲本…日本サッカーが世界に羽ばたいた2000年代初頭、今野さんはサッカー観戦ガイドブックの記者としてヨーロッパで取材をしていました。国ごとに異なるファンの扱いなど、臨場感あふれる当時の様子を振り返ります。
6
12月6日公開
学生時代は旅費を稼ぐために映画関係のアルバイトをしていたという今野さん。そして今、その旅行や取材で培った体験を元に映画を撮ろうと思ったのも偶然ではないかもしれません。世界を旅する今野さんは、これからどんな物語を映し出してくれるのでしょう。