弾き語りのミュージシャン、スーマーさんの月間わら半紙2つ折り冊子『寒弾』(かんびき)の表紙絵を3月号から一年間描きます。何を描いても良い、とスーマーさんとブックデザイナーの村上亜沙美さんから言われているので楽しんで描こうと思っています。3月号はもう出ていて、カエルが冬眠から覚めてハエを食べたところを描きました。
冊子の内容はスーマーさんの近況や雑感、コンサートの予定などで、わたしも「今月のえごころ」のタイトルで小文を添えています。画材はマッキーという文具店ならどこでも売っている油性ペン。このフェルトペンが大好きで、もう四十年ぐらい愛用しています。スーマーさんの歌声は昔購読していた『ガロ』という月間マンガ誌(編集部注:商業マンガとは一線を画す独創性の高い作品を掲載し、水木しげる、つげ義春、佐々木マキなどを輩出した雑誌、現在は廃刊)を思い出すので、マッキーで何となくガロっぽい気持ちで描いています。
前々回にも書きましたが、子どもの頃からマンガが大好きでした。鉄腕アトムの手塚治虫、鉄人28号の横山光輝、おそ松くんの赤塚不二夫など日本のマンガ黎明期のスター達が群雄割拠している時代で、両親も漫画雑誌をよく買ってくれて幸福な少年時代を送りました。
中でも石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)に心酔していました。物語にも魅せられていたのですが、何よりもその絵の虜になっていました。『サイボーグ009』『ジュン』『佐武と市捕物控』『おかしなおかしなおかしなあの子』『ぼんぼん』など枚挙にいとまがありません。散々真似もしていて、思えばこれが自分の絵の基礎だったかのもしれないとさえ思います。
マンガは白黒での表現です。普段の絵は油彩画にしろ水彩画にしろ淡い色調なので、黒を使う、ということ自体が冒険です。しかし子どもの頃に頻繁に描いていたマンガのようなものを時折描くと、普段の絵を描くときに使っている脳とは違う部分が活性化されるようで新鮮でもあります。
マンガの描き方には、作法というか、手塚治虫は顔はこう描くとか、赤塚不二夫の手はこうとか、藤子不二雄の足はこう、というようなものがあります。わたしにとってマンガは、江戸時代の御用絵師集団の狩野派と同じような「お手本主義」です。手が記憶しているそういうフォルムを自分なりに消化して自分のスタイルを作り上げようと奮闘しています。そのど真ん中に石森章太郎がいるという訳です。
小学校の高学年の頃、手塚治虫率いる虫プロダクションが『ガロ』に対抗して『COM』というマンガ雑誌を創刊しました。『COM』は手塚治虫の代表作のひとつ『火の鳥』を連載していた雑誌ですが、そこに石森章太郎の『ジュン』という「実験マンガ」と銘打ったものが連載されていました。巻頭を飾っていたことも多かったような記憶があります。
よく「手塚治虫がマンガに映画的手法を取り入れた」と言われますが、石森章太郎の『ジュン』はそれをさらに洗練したような作品で、セリフなし。マンガで描いた詩のような印象で、いっぺんに魅了されました。
あれから再読していないので記憶で語りますが、ジュンという若者がただ歩いていて、その場所が現実なのか過去なのか未来なのか分からない、絵がカッコいい、そして何となく悲しいけど分かったような分からないような気分になる、というようなものでした。共感したのは自分と名前が同じだったということもあったかも知れない。
手塚治虫が石森章太郎のジュンに非常に対抗心を燃やした、という話を何かで読んだ記憶もあります、当時二人はライバルで、手塚がジャイアンツ、石森がタイガースという感じかな。あ、この例えも古いか。
この巨星二人が丁々発止に創作していた日本マンガ黎明期の幸福な時代に立ち会えたことをとても感慨深く思い返します。あれから半世紀を経て、日本のマンガがカルチャーとして世界中に広まりこれほど活況を呈するとは、当時の少年には思いもよりませんでした。
『ジュン』をWikipediaで調べると記憶とはややズレがあるようです。記憶が自我の中で変形していった過程をたどったような気持ちにもなったので、このまま記載します。今回、画像はマンガテイストのものを。マンガは語り始めると、もっと語りたくなりますね。いつかマンガについて再び書くかもしれません。
References & Thanks to
1
12月19日公開
鎌倉に住む大きな理由は波乗りができるということ。「絵を描くために波乗りが必要だ」という口実がぴったりな画家の久保田さんは、文字通り暮らしと波乗りと絵画が密接な関係で結びついた日々を鎌倉で過ごしています。2017年には初めての絵本『なみにのる』を上梓し、原画展も開催しました。絵に添えられた言葉と、その言葉が喚起するイメージ。それはまるでお互いを映し合う久保田さんと波乗りの関係のようです。
2
1月23日公開
漫画を描くのが好きだった幼少期、広告代理店勤務を経て、CM制作に携わった日々。そして、50代になり、そんな暮しから離れて鎌倉に居を移し、波と向き合って絵を描く暮らしが始まりました。波乗りをしながら波乗りの絵を描く、そのためには日々波に乗ることが必要だ、という完璧な生活の循環を思いつき、「死ぬまで絵を描く」と心に決めた久保田さんがたどり着いた心境とは…。
3
2月20日公開
久保田さんが最近訪れた東京の展示を3つ紹介。「本という樹、図書館という森」「谷川俊太郎展」そして「坂本龍一with高谷史郎|設置音楽 2 《IS YOUR TIME》」。言葉、音、映像。それぞれ特性の異なる表現手段が、久保田さんの絵画にどのような刺激と共感を与えたのでしょうか。
4
3月20日公開
手塚治虫、横山光輝、赤塚不二夫など、漫画の黄金時代に幼少期を過ごした久保田さん。中でも格別に心を惹かれたのは石森章太郎の作品でした。当時、実験マンガ『ジュン』の描き出す斬新な世界に魅了された久保田さんにとって、マンガは今でも絵画とはまた一味違った魅力を持ち続けています。
5
4月17日公開
久保田さんの絵を支えている4つの要素。デザイン、線、色彩、そしてモチーフ。それらは絵画の基本でありながら、今でも久保田さんを魅了して止まない絵画の魅力そのものです。絵を描くということは、自由なようで実はスポーツのようにルールに沿っています。しかしそれが何のスポーツなのか…絵が仕上がるまで描いている本人にもわからないそうです。
6
5月15日公開
猫と少女についての絵を描くことになった久保田さん。細かい設定や実在のモデルを想定しながら感じる苦悩は、なんと前職のCMディレクターの仕事にも通ずるものだったのです。自由を求めて画家になったはずなのに、また同じところへ戻ってしまうのだろうか?それとも…。絵画、そして言葉と向き合う日々の中で、久保田さんは今日も雲を追うように新たな表現を探しています。連載最終回。