日本海を望む三国港を中心に1700年の歴史を持つ福井県の三国。2006年には三国町、丸岡町、春江町、坂井町が合併して坂井市が発足し、現在では北陸の観光地のひとつとして知られている。日本海の荒波を打ち砕く断崖絶壁の名勝東尋坊や、神の島と呼ばれる雄島、江戸時代の古城丸岡城など、豊かな自然と文化に恵まれた坂井市は、今も三国の悠久の時を受け継いでいる。市のテーマソングはヒナタカコ作詞・作曲「しあわせの花」
今回は7月18日から始まるヒナタカコさんの連載『しあわせの花を探して』の取材旅行記をお届けします。シンガーソングライターのヒナタカコさんは現在、出身地の福井県を中心に、歌手として、また作詞・作曲家として精力的に音楽活動を展開しています。そんなヒナさんに会いに、KAMAKULANIキュレーターのデキが梅雨の合間に北陸の港町を訪ねました。生まれ育った三国の町をヒナさんにたっぷりと案内していただき、日本海に沈む夕日を眺めながら尽きることのない話に花が咲きました。
数年前、SNSのタイムラインで見つけたミュージックビデオにふと目がとまった。
ボーカリストの女性が中学生のころの親友に空似で、一瞬本人かと思うくらいでした。興味本位で再生ボタンをクリックすると、そこから流れてきたイントロに引き込まれて、歌詞まで辿り着く。その後はもう涙が止まらなかった。
彼女の名前はヒナタカコ、福井県出身のシンガーソングライター。
2017年6月8日。
全国で梅雨入りの声が聞こえる中、大阪駅からサンダーバード17号に乗って北陸に向かいました。福井県の芦原温泉(あわらおんせん)駅に着いたのはお昼を少し過ぎた頃。何度か訪れたことのある駅で、いつもなら宿の送迎バスを探すのですが、今回は違いました。ロータリーに車で迎えに来てくれたのはヒナタカコさん。
ヒナさんとは初対面の時から意気投合して、時間がいくらあっても足りないことは感じていたので、今回は話が尽きるまでトコトン話すつもりで福井までやってきました。
「とりあえずゴハンにしましょ!」
移動の疲れが一瞬で消えるその一言。前日にメールで送ってもらっていたランチの候補から、日本海の新鮮な蟹や魚介で有名な「越前蟹の坊」を選びました。「越前蟹の坊」は、私が三国に来たら必ず行く「田島」という海鮮屋さんのお向いにあり、以前から気になっていたお店でした。注文したのはヒナさんオススメのガサエビカツ丼。ガサエビは鮮度が命で、ほとんど市場には出回らないため、地元では甘海老より人気のエビだそうです。たしかに甘海老よりも食感があってとってもおいしい。
生まれ育った町の魅力をスマートに案内してくれるヒナさんのアテンドに感激です。
福井県坂井市は4つの町が合併してできた比較的新しい市ですが、もともとその辺り一帯は三国(みくに)と呼ばれる歴史ある地域でした。古くから三国に伝わる「かぐら建て」の建築が特徴の旧岸名家や、大正デモクラシーの波に乗って三国の経済を支えた旧森田銀行などの歴史的な遺産をはじめ、みくに園(盆栽専門店)、三本日和(雑貨店)、いとや工房(提灯専門店)など、三国の町並みとショッピングを楽しめるお店もたくさんあります(詳しくはKAMAKULANIのInstagramで紹介しています!)。
町を歩いていると、老若男女問わずたくさんの人から声をかけられるヒナさんの存在感にビックリしました。まさに三国の顔!盆栽の「みくに園」さんにオジャマしたとき、そんなヒナさんが「大阪の友達です」と紹介してくれたことが密かに嬉しかったです。
「みくに園」の下村さんが管理するゲストハウス「詰所三國」も内見させていただきました。東洋文化の研究者で古民家再生の第一人者であるアレックス・カー氏が監修した「詰所三國」は、町屋の雰囲気をしっかり守りながらも、現代人が快適に過ごせるリノベーションのバランスが見事でした。次は絶対、ココに泊まります!
町を散策していたら日が暮れはじめたので、カフェ「POSSE COFFEE」でコーヒーをテイクアウトして急いでサンセットビーチまで車を飛ばしました。イイ歳の女子(?)二人がコーヒー片手にテトラポットに飛び乗って、真っ赤な夕日の下で海と向い合せに座って(紫外線は大丈夫かしら…?)、「雲を下から照らしてピンクに染まる空が好き!」とか「こんな空を前にもどこかで見たことある!」とか、そんな他愛もない話ばかり。後ろを振り返ると山の上には明日満月になる予定のお月さま。
私は大阪、ヒナさんは福井と、生まれ育った土地は違うけど、子供の頃から当たり前にある自然をちゃんと見落とさずに見てきたところが二人の共通点なのかもしれません。だからこそ私はヒナさんの歌に、幼い頃から海や山で聴いてきた風や波の「音」には満たない「音」を感じて共感したんだと思います。
ヒナタカコさんの「夢のかなた」という曲を初めて聴いたとき、私はある決心をしてスグに友達に電話をかけ、「決めた!」と宣言しました。その頃の私は人生の岐路に立っていて、自分ひとりの力では前に進めずにいました。でもヒナさんの歌を聴いて、5年以上止まっていた時間が動き始めたのです。ホントに背中を押してもらった1曲でした。
2016年、KAMAKULANIの1周年企画「暮らしと音楽」で好きな音楽を選曲したとき、真っ先にヒナさんの「夢のかなた」が頭に浮かびました。でもスグにキュレーターとしての立場で「イヤ、曲を紹介するだけではもったいない、ヒナタカコさんにKAMAKULANIで何か書いてほしい!」と思い直しました。
年末に執筆の依頼をして企画書を送ったりしばらくメールでのやり取りが続きましたが、諸事情で連載開始まで少し時間を置くことに。それでもその際お互いに正直なキモチで言葉を交わしたコトが二人の距離をギュっと近づけてくれたような気がします。
それからしばらく時間が経ち、冬が終わって春になり、青葉がいっせいに芽吹き出したころ、ヒナさんから一通のメールが届きました。
「大阪でライヴをするので会いに行きます」
もちろんスグにチケットを予約して、はやる気持ちを抑えて上本町のライブハウス「STAR LIVE U6」へ!ヒナさんの生の歌声を聴くのは初めてでした。セットリストに「夢のかなた」はありませんでしたが、一人で号泣する姿を見られずに済んで、むしろよかった。
ライブ翌日にヒナさんとお会いして話をしたらドンドン盛り上がって、あっという間に帰りの電車の時間に…。まだまだ全然話し足りない。「近いうちに福井に行きます!」思わずそんな言葉が出たのも、ごく自然なコトでした。
福井2日目の朝、私の宿泊先まで車で迎えに来てくれたヒナさんと、雄島(おしま)、東尋坊(とうじんぼう)、平泉寺を巡りました。移動中、「わ!田んぼにサギおるー」「こんな1本道は北海道でしかみたことない!」「緑の色キレすぎー」と助手席で小学生のようにはしゃぐ私、笑!でも、パワースポットの雄島や平泉寺では黙々とひたすら歩きました(お互いそれぞれにいろんな事を考えてキモチをリセットしていたような気がします)。
特に、平泉寺に向かう菩提樹の道では二人とも自然と言葉数が減り、しばらく進むと細い道に木漏れ日がいっぱいに溢れ、木樹の中に吸い込まれそうな道の先にひっそりと佇むお寺が見えてきました。平泉寺は「苔寺」と呼ばれていて、光の当たり方でその表情を変えていく苔の絨毯がスゴく幻想的でした。刻一刻と移り変わっていく光景を目に焼き付けながら、今この瞬間と同じ景色は二度とないんだ…と思い、何度でもこの景色を見に来たい、と強く思いました。
歩き疲れて、勝山市のカフェ「HUTTE(ヒュッテ)」へ。自家製シロップのストロベリーフルーツポンチで旅を〆めくくり。
帰り道、ヒナさんオススメの「金花堂はや川」で名物のくるみパイとくるみ羽二重もちのお土産を買い、福井駅まで送ってもらいました。充実した旅の終わりが迫り、夕暮れ時に大阪に戻る私は少し感傷的になって「また、いつかー!!」っていう気分でしたが、ヒナさんはあっさり「明日は京都に行くんですー!」って、、、。マジで!!!
そう、考えてみれば北陸と関西はすぐ隣、いつでも遊びに行ける距離なのです。私たちは軽やかに手を振って別れました。
その翌日、ヒナさんからお手紙が届きました。
そこには「こんなに「素」の自分で過ごしてよかったのだろうか?笑、、」と書いてありました。二日間一緒に過ごした時間でまったく同じことを思っていたのです。それほどリラックスできたのは、ヒナさんが生まれ育った福井の大自然のおかげもあると思います。
ヒナタカコさんの連載は7月18日から始まります。
東京から自身のルーツである福井に戻って歌うことを選んだヒナさんの決意や、坂井市のテーマソングや坂井高等学校校歌などヒナさんの曲が地元で歌い継がれることへの想いなど、全6回の連載を予定しています。自分自身と向き合うことも、音楽と向き合うことも、いつでも真面目で真剣なヒナさんの姿が大好きです。KAMAKULANIの連載を読んでいただき、ヒナさんの曲が(かつて私にそうしてくれたように)誰かの背中を押してくれたら、本当にうれしいです。
References & Thanks to
1
6月27日公開
7月から「into Art」での連載が始まるシンガーソングライターのヒナタカコさんをkAMAKULANI編集部が訪ねました。場所は福井県、日本海に臨む三国の地。自然あふれる三国の町で生まれたヒナさんは、東京での活動を経て今再び、故郷に戻りました。連載第1回はプロローグとしてキュレーターのデキがヒナさんと三国の魅力をお伝えします。
2
7月18日公開
福井に戻って3年。音楽で想いを伝えることに専念してきたシンガーソングライターのヒナタカコさんが、ふとしたきっかけでKAMAKULANIで筆を執ることになったのは、言えなかった「ただいま」を言うためなのかもしれない。これまでの音楽活動を振り返りつつ、ヒナさんの現在を、そしてこれからの音楽を知るためのメッセージ。
3
8月22日公開
東京で音楽活動を始めたヒナタカコさん。初めてのライブは観客2人。レコード会社との契約がないまま手探りで活動する中、後にスタッフとしてヒナさんの活動を支えることになる同郷の音楽関係者と出会う。「今はまだ帰れない」その言葉を噛み締めながら、自ら立ち上げたレーベルからプロとしての活動が始まりました。
4
9月19日公開
「生まれはな、君そのものなんや」。ラジオのパーソナリティに言われた言葉がきっかけで、寺生まれである出自を見つめ直したヒナタカコさん。出家のための得度や、自らの体調不良、そして大切な人の大病などの経験を通じて、愛に生きる時間を大切にすることを選んだヒナさんの音楽活動のベクトルは徐々に変わっていきました。
5
10月24日公開
「歌わなきゃ」…福井に帰郷してから、いつの間にか歌うこと自体の楽しさを忘れていたヒナさん。自らに課した重圧から離れて、自分の本当にやりたいことは何かを考えることで、少しづつ自信を取り戻していきました。
6
11月21日公開
東京でのプロデビュー、そして自身で立ち上げたレーベル運営と音楽活動を経て、故郷の福井に戻るまでの道のりを振り返ったヒナタカコさんが、今だからこそ語れるエピソードの数々で自作を紹介!KAMAKULANIに綴られた制作秘話と、ヒナさんの音楽と一緒にお楽しみください。