Inoue Kotori

イラストレーター・絵本作家

フリーのイラストレーターとして、各メディアでイラストを手がける。絵本作品に、『わたしドーナツこ』(ひさかたチャイルド)、『ちいさなぬま』(講談社)、『かきたいな かきたいな』(アリス館)、『まちの ひろばの どうぶつたち』(あかね書房)、『てがみが ほしい みつあみちゃん』(チャイルド本社)、『やまと うみの ゼリー』(小学館)がある。

方向音痴は散歩する

1私が絵本作家になるまで

ドキドキしながら、ぼんやりしている

私が絵本作家になるまで、と書いてみて、ドキッとする。
「私は本当に絵本作家なのだろうか?」

こんな風に書くと、“自分をひとつの型にはめる事が嫌いな奔放かつ多才な人間”もしくは“肩書きが沢山ある有能かつ多才な人間”はたまた“自分が何者であるか、常に考えている哲学的な人間”を気取っているように思われるかもしれないけれど、決してそうではない。そんな、立派なものではない。

もう少し突っ込んだ書き方をすると、「私などが絵本作家と名乗ってよいものだろうか?」または、「私は本当に絵本作家になれているのだろうか?」である。

いつも、ドキドキしている。ドキドキしながら、ぼんやりしている。
ぼんやりしている、というのは、具体的にどんな状態かというと、「よいものだろうか?ダメだろうか?なれているのだろうか?なれていないのだろうか?」などと考え過ぎて、面倒くさくなって、「まぁいいか」と、開き直っている状態である。

自分は大変に神経質であり、心配症であり、同時に面倒くさがりでぼんやりしているのだ。矛盾しているけれど、そうなのだ。神経質なくせに、ぼんやりしている。
改めて文字にすると、「不出来だな」と思う。「あぁ不出来だな」と思ってドキドキして、「まぁいいか」とぼんやりしている。

すみません、絵本はあまり見ませんでした

絵本を作るようになってから、「子供の頃、どんな絵本が好きでしたか?」とか、「好きな絵本は何でしたか?」と、時々聞かれるようになった。でも、私にはそういったものがないのだ。だから正直に、「すみません、絵本はあまり見ませんでした」と答えている。

私の母は、絵のある本が好きではなかった。好きではなかったのか、教育のためにそうするのがよいと彼女なりに信じていたのか、そのへんの真意は分からない。
子供部屋の本棚にあった絵本は、母の友人が私のためにプレゼントしてくれたものが、数冊だけ。私の落書きや、貼りつけた絆創膏が残っているので、その数冊は読んでいた(見ていた)のだと思うけれど、記憶には残っていない。きっと、幼稚園に入るより前の、すごく幼い頃のものだろう。

そのかわり、その本棚には、世界の児童文学集の類が、ずらっと並んでいた。寝る前に、それらをよく読んでもらった。時々出てくる挿絵は、私に見えないようにと、手で隠された。
「絵を見ると、自分で考えなくなるからダメ」
今の私から言わせると、「なんて安易な!」であるが、その当時は無力な子供。母を論破するなど、出来るはずもない。ただ、“無力”ではあったけれど、決して“無反抗”な子供ではなかった。母の留守中に、母の化粧台の丸椅子を持ち出しては、それを踏み台代わりにして本棚に手を伸ばした。そして、見せてもらえなかった挿絵をこっそり確認していた。

その中で気に入っていたのが、『たのしいムーミン一家』と『デブの国 ノッポの国』。物語も挿絵も大好きだった。ムーミンは言わずもがな、だけど、『デブの国 ノッポの国』の事は、最近ふと思い出して、そこで、挿絵が長新太さんだったと気付いた。子供の頃の自分と、今の自分が繋がったような、なんとも嬉しい瞬間だった。

ドンゾコドン!ドンゾコドン!

絵本にあまり触れなかった子供が、成長して、絵本作家を志す可能性は、あまり高くないだろう。最初から、絵本を作ろうと思っていたわけではなかった。

大学生の頃は、小劇場が面白いと思っていて、脚本家になりたかった。大学を卒業して、2~3年くらいはアルバイトや派遣社員の仕事をしながら、コツコツと脚本を書き、その界隈で知り合った友人知人に出演してもらって、3回ほど上演もした。

そこで、精根尽き果てた。びっくりするほど貧乏だったのだ。
切れた蛍光灯を買い換えることが出来なくて、しばらく懐中電灯で生活していたら、目を悪くした。両目とも1.5の、自慢の視力だった。中高生の頃、教室の1番前の席から、1番うしろの年表を読んでは友達を驚かせて、ケタケタ笑いあったりした。その力を失ったのが、悲しかった。私の体たらくのせいで、その目を悪くしたのが申し訳なくて、やけに高温の涙が出た。「あ!また目に負担をかけている!」と思ったら、ハムスター1匹くらいなら入浴できるほどの量の湯水が出た。でも、私はハムスターを飼っていなかったので、湯水はただただ無駄になった。

それで、「もうやめよう」と思った。「あぁ、どん底だ」と思った。どん底なくせに、「ドンゾコドン!ドンゾコドン!」という下らないかけ声を思いついてしまって、ほとほと自分に腹が立った。

でも、もう決めたのだ

「これからどうしたものか?」と考えて、「目標を持つのはもうやめよう」と思った。
大体私は、方向音痴なのだ。方向音痴が目標なんか持つから、こんなことになったのである。方向音痴というものは、目的地を目指しているつもりでも、とんでもない場所に向かっていたりする。方向音痴なくせに目的地を決めるなんて、なんて身の程知らずだったのだろう!

「これからは、散歩をするようにやって行こう」と決めた。目的地がなければ、辿り着けない心配もない。途中、面白い景色を見つけたら、立ち止まってみよう。たとえ毎日同じ道を通ったとしても、花が咲く日もあれば、猫がいる日もあるだろう。面白い人に出会ったら、友達になれるといいな。いい匂いがして来たら、そちらに向かってもいい。ただし、来た道だけは、忘れずに。迷ったら、無理せずいったん引き返そう。散歩の目的地は、しいて言うならば自分の家だ。そんな風にやって行こうと決めた。
「本当にそんな事でいいのかな?」とドキドキした。
「でも、もう決めたのだ」とぼんやりした。

そんな風にやっていたら

そんな風にやっていたら、いつの間にかイラストレーターの仕事をしていた。私は性懲りもなく、気を抜けば目標を持ちたくなった。その度に、「方向音痴は散歩に限る」と自分を戒めた。
そんな風にやっていたら、ある時絵本を出せることになった。散歩を始めてから、7年目のことだった。


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井上コトリさんの絵本

作=井上コトリ『やまとうみのゼリー』小学館

やまとうみのゼリー
小学館 2016年

山で暮らすタコのタコヤマさんは、山の上で、寒天ゼリーの店を営んでいます。そんなタコヤマさんの、穏やかで幸せな、ある1日のお話です。

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作=井上コトリ『わたしドーナツこ』ひさかたチャイルド

わたしドーナツこ
ひさかたチャイルド 2011年

じぶんのなまえ、すき?きらい?おかしななまえからはじまるおかしなおはなし。

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作=井上コトリ『ちいさなぬま』講談社

ちいさなぬま
講談社 2013年

ぬまは、ずっとひとりぼっちでした。あるとき、森にちょうがやってくると、ぬまは、さようならをしたくないあまりに、ちょうを飲みこんでしまいます…。ひとつの出会いによって様々なさみしさが変わっていきます。

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作=井上コトリ『かきたいな かきたいな』アリス館

かきたいな かきたいな
アリス館 2014年

カタカタコトコト。文房具の国を走る“ふでいれ”から、ニョキっと出てきたのは、赤色鉛筆の“あかいろちゃん”! 「かきたいな、かきたいな! 」と、文房具の国をタカタカ進み、その場に合った“なにか”を描いてゆきます…。

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作=井上コトリ『まちのひろばのどうぶつたち』あかね書房

まちのひろばのどうぶつたち
あかね書房 2015年

あるまちのひろばに、どうぶつたちがすんでいました。でも、そのことをだれもしりません。いったいどうして?

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作=井上コトリ『てがみがほしいみつあみちゃん』チャイルド本社

てがみがほしいみつあみちゃん
チャイルド本社 2015年

手紙をもらって喜んでいるお隣のワニくんがうらやましいみつあみちゃん。自分も手紙をもらう方法をいろいろと考えてみるが…。読み聞かせに最適な、想像力を育む「絵を読む」絵本。

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方向音痴は散歩する

1

6月20日公開

私が絵本作家になるまで

「目標を持つのはもうやめよう」。目的地のない散歩に出ることをぼんやりと決意した井上コトリさん。方向音痴だからこそできるそんな気まぐれな散歩が、とても素敵な場所にコトリさんを導いてくれました。

2

7月19日公開

初めての絵本とその前の絵本

出版社の編集長からのアドバイスをきっかけに絵本をかいてみることにした井上コトリさん。記念すべき初めての絵本『わたしドーナツこ』が生まれるまでには、絵本作家になるための大切なことに気づかせてくれた「その前の」絵本の存在がありました。2冊の絵本の誕生秘話。

3

8月23日公開

わたしドーナツ+こ

『わたしドーナツ』から『わたしドーナツこ』へと名前を変えた初めての絵本。タイトルから装丁まで、出版社やデザイナーの方々と一緒に試行錯誤を繰り返しながらだんだん「なつこらしい」本に仕上がっていきました。それは井上コトリさんにとって魔法のような体験となりました。

4

9月20日公開

わたしドーナツこ

いよいよ出版された『わたしドーナツこ』。コトリさんの手元を離れて、読者や周りの人たちから好意的な反響が寄せられました。コトリさん自身も、自らの人生と『わたしドーナツこ』を照らし合わせて、あらためてこの絵本の意味を考えます。

5

10月18日公開

ふたつの卵

絵本作家としてのデビューを果たした井上コトリさん。そこですべての運の貯金を使い果たしたかのように思えたけど、すぐに新しいふたつの出会いがやってきました。料理雑誌の挿絵の仕事と、絵本2作目の話。ふたつの卵が育まれていたのです。

6

11月15日公開

ふたつの卵は孵るのか?

料理雑誌のイラストと新しい絵本。ふたつの卵を抱えた井上コトリさん。2作目の絵本の企画がなかなか通らず、ついに再び「どん底」に。そこで聞こえてきたのは、いつかの自分の言葉とお世話になったU編集長の言葉。その声を頼りに『ちいさなぬま』が完成しました。